●イタドリって、知ってますよね。どこにでも生えていて、海沿いだろうが山あいだろうが、わさっと密生して立派に茂っているあいつです。
●ウドの大木という言葉があるけれど、個人的にはイタドリみたいなバカ、という言葉があってもいいんじゃないかと思っています。
●大体どうして草の分際であんなにグングン伸びる必要があるのだろう。お前は木じゃないんだぞ、一回落ちつこう、な、と、諭してあげたい。どうせ冬には枯れてイチからやり直しなのにグングン伸びる姿を見ていると、健げに思えたりもするんだけど、3~4mに伸びた一見立派なやつでも、根元を足でグイッと踏みつけたら、あっけなく折れてしまうので、そんなにスカスカで大きくなっても中身がなければしょうがないじゃないか、と哀れにも思えてしまうのである。
●それに、ウドはバカにされつつも、家庭でも料理屋でも大人気の山菜として愛されている。国道沿いで見かけて、あとで採ろうと思っても、目を光らせて走っている近隣ドライバーに先に採られているほどの人気者だけど、イタドリはというと、皆が我先にと採ることもなく、どこでもグングン伸び放題。その辺がウドと大きく違う。だからウドの大木という言葉を聞く度に、イタドリみたいなバカ、という言葉が脳裏に浮かんでしまう。
●しかしぼくは知っているのである。イタドリが本当はいいやつで、引き出しもたくさんあるということを。
●見た目で判断して、ろくに話したこともなかった人が、いざ話してみると、なんだとても魅力的な人じゃないか、という経験あるでしょう?
ぼくはイタドリのことをデカいばかりでうっとおしいやつから、知れば知るほど奥深いやつよのう、と最近は評価している。
●まず、イタドリを食べたことがあるという人はどれくらいいるだろうか?
北海道の一般的な山菜その①アイヌネギを100とした場合、(100人中100人が食べたことがあるという意味ね)フキも100と続いて、ウドは70~80ぐらいじゃないかと思う。そしてイタドリはぼくの実感としてはガクンと落ちて、いいとこ3ぐらいだと思う。このあたりも認知度の割にさみしい。
●イタドリは結構やるな、と思ったのは、ぼくが出入りしている畑にいるアイヌの川見ちゃんが、塩漬けを油揚げと煮たものを食べさせてくれた時であった。
イタドリがわっと大きくなる前の春先に、チョロンと伸びて来たイタドリの皮をむいて塩漬けにするらしい。昔は樽一杯作って、冬の大事な食糧でもあったという。
こいつを塩ぬきして煮物にするんだけれど、味といい、食感といい、しみじみうまかった。タケノコのやわらか~いの、といった感じで、一気にイタドリを見る目が変わった。それからというもの、山菜の図鑑を買ってきては、にわかに山菜に明るい人を目指している。
●新芽のお浸しというのを去年はたくさん食べた。
まだ30センチくらいのイタドリを摘んできて、洗って茹でるだけのもので、食べ応えがあるのに手間がかからない食卓の優等生だ。
新芽にはカツオ節状のポショポショしたものが生えているのだけれど、こいつを洗う時に取るのが手間と言えば手間というぐらいのものだ。サッと茹でて、ザクザク切ると、ヌメリがサラッと切り口から出てきて、なんとなく体に良さそうな気もする。少し酸味があるので、ポン酢をかけて相乗効果的に食べるのが好きだ。
●イタドリの新芽はカツオ節と正油に限るね、と言う人もいる。
意外にうまかったのはチンチンに熱した中華鍋にごま油と一口大に切ったイタドリを放り込んで手早く醤油とかつお節で味を整える楽チン炒めだ。ごはんにも酒にも合うし、炒めるとカツオ節状のポショポショを取らなくても気にならないので、油炒めの方がよく食べた気がする。
●もう一品、みんな知らないんだろうなぁと思いつつ紹介したいのがイタドリの根っこである。
●春先に畑を耕す時に、イタドリが陣地を広げようと畑まで根を伸ばしている。
イタドリというのは根っこで繋がっていて、こんな風に伸ばした根っこの先からピョコピョコと地上へ根を出していく。畑を掘り起こすと、土に埋まっていた「もうすぐ新芽になるんだ」と主張しているような白い部分が出てくる。みんなこんなに根っこ伸ばして、何がしたいんだイタドリのバカ!的に邪険にしていたぼくだけど、最近はイタドリに好意を抱いているので、この白いところも食べられないかなぁと思いこっそりポケットに入れて持ち帰った。
●家で洗ってザルに並べてみると、実に品の良い感じで、愛しさすら感じるほどだ。
あ、ホワイトアスパラだ!とぼくは閃いた。
閃いたから何だという意見もあるだろうが、野山のものを取って来て食べたことのある人にはその瞬間のぼくのヨロコビをわかってもらえるかと思う。
●愛らしい白いそいつを生でかじってみた。少し酸味があり、歯切れや触感がシャクシャクと気持ちいい。ポップな食感のホワイトアスパラといった具合である。
天ぷらと、油炒めと、サッと茹でたのを甘酢につけて食べてみた。
あまりにも感動的新発見!という味覚だったので、それからスキを見ては畑の厄介者として大地に身を投げ出すそいつを拾って食べた。
●世の中には話題のウマイもんや新しい食べ物、野菜の品種だって毎年改良されたものが出てきて、それはそれでいいことなんだろうけれど、ぼくは身近にずっとあったのにみんなが知らんぷりしていたものが実はうまいんだぞ、ということを発見した時に食べるヨロコビを感じる人間でいたいと思った。
農業見習い中
白木哲朗のエッセイ百番勝負