005:死と人生

今日は労働災害撲滅の日であった。
 何故今日なのだ?と工場内に響くスピーカーに耳を傾けていると、3年前の今日、この工場で事故があり、作業員が亡くなってしまったからだとわかった。
チラリと話は聞いていたので、どんな事故だったんだろう、亡くなった人は何をしていてどのように死んでしまったんだろう、と思っていたけど、誰もそのことは話題にしないし、受入研修で「安全について」という項目を話した人も事故の話題を避けていたので、これは触れてはいけないのだと思っていた。
いつものボソボソとした本日の来客予定や「雪が降ったので運転には注意しましょう」という右から左に通り抜けていく声のあとで、工場長が「労働災害撲滅について」と、話し始めた。その声は単に周知事項を知らせたり、目の前の書類を読み上げるような中身のない声ではなくて、真に伝えるべきことを誠実に真っ直ぐに伝えたい、と感じられる声だったので、ぼくは作業の手を止めてスピーカーから流れる工場長の言葉に耳を傾けた。
昨冬働いていた西表島の工場は従業員の数も少なく、工場の規模も小さかったので(それでも50人体制で、100トン/日の原料をこなしていたのでぼくにはとてつもなく大きく思えた)初日から大体の人の顔は見たし、工場長とも2日に一回はしゃべることがあったけれど、ここ(十勝清水の製糖工場)では3週間いても工場長を見たこともなく、顔と名前すらわからないのが現状だ。ただひたすら巨大な工場で文字通り歯車の一つになって、気付けば期間が終わり、また次の場所へと旅立つんだと思っていた。
大きな会社なので、臭い物にはフタ、事なかれ主義、責任者は名ばかりでみんながみんな文句ばかり言ってカッコイイ人は一人もいない、とヒネクレ者のぼくは思っていたけれど、違った。
 工場長は長いだけで誰も聞いちゃいないご立派なことを言うのではなく、従業員の安全より大事なことはありませんと言い、そのために責任者は口うるさい上司になることが仕事でもある、と言った。話す間や少しかすれた声から判断して、キレイごとではなく、本当に思っていることを言っているとぼくは判断して、一分間の黙祷も心から静かに手を合わせた。
ぼくの心を打ったのは、事故やケガがないようにと訴える工場長の話の中に、命を落としてしまった従業員の名前が実名で何度も出てきたことだ。はぐらかしたり、ごまかしたり、アイマイに逃げることなく、真っ直ぐに亡くなってしまった従業員の不幸を悲しみ、二度とこんなことが起こらないようにしなければいけない、という願いや、祈りや、使命感を確かに感じた。
そう。ぼくのオロカな偏見がひとつ消滅したのである。
 大企業や公務員のいわゆるエライ人はみんなクソったれで、そこに所属しているヤツも総じてロクなやつがいなくて、あいつらは仕事で関わる相手を自分の得になるかならないか、もしくは利用できるかできないか、ただのメンドクサイ客か従順な客か、だけの判断基準で動き、個人の考えや人生など歯車とハンコの前では何の意味も持たないのだ!という人しかいないんだろうよ、ケッ……というひねくれが間違っていたと反省した。
そのような人ばかりで、世の中が回るわけがないのだ。
とにかくぼくは今生きているし、日本も消滅していないということは、それを支える人が誠実に世の中に存在しているからだということを実感して、不謹慎ではあるけど少し嬉しくなった。
あとから知ったのだけれど、その亡くなられた従業員はまだ20代で、子供が生まれたばかりだったという。札幌から出向して来たヤル気に満ちたホクレンの職員だったそうで、でき上がった砂糖を袋詰めする機械にもぐり込んで修理している時に、それを知らない従業員がその機械のスイッチを入れてしまい………ということだったらしい。
誰が悪いと言えない、安全対策の不備から起こった悲しい事故だ。それから整備中や修理中の機械のスイッチには「スイッチ入れるな!」という注意喚起の立て札や、監視の人員を配置するようになり、事故が起きないように血の通った対策が取られている。
な~んで機材をおろすだけでこんな看板立てたり見張りがいっぱいいるんだよ、邪魔臭くてしょうがねぇや、と悪態をついていた己をただ恥じるばかりである。
<2018年12月6日01:29。十勝清水ホクレン製糖工場、かしわ荘にて。生と死について考える中で。窓の外はドカ雪。遅い根雪を待つ部屋で>