048:地下鉄を乗り継いで

わけあって最近立て続けに地下鉄に乗ることがあった。そうして思ったのですが、地下にあるものはじゃが芋の貯蔵庫とか地下室ぐらいしか知らない田舎者にとって、電車が地下を走っていると言うのはちょっとそれだけで感動したり仰天してしまう事実だったりするのですね。
おまけに町内にエスカレーターが2カ所ぐらいしかない田舎にいると、どでかいビルがにょきにょきしている大都会に来るだけで面食らってぐったりしてしまうというのに、さらにその地下を巨大な鉄のカタマリ(ちょっと古い表現かな?)が走り回っているとなると、その事実だけでちょっとした事件に巻き込まれてしまったように感じてしまうのです。だから地下鉄に乗ると言うことはぼくにとって、なんだかすごく誉れなことに思えたり、無意味に誇らしい気持ちになってしまったりするものなのですね。
うちの町には地下鉄はないけど映画館もボウリング場もあるよ、という大都会に住む人からしてみれば、《田舎者ここに極まれり…!》という感じがしないでもないですが、同じ北海道民なのですから、そのあたりの感じ方については、間違って遡上して来てしまったイルカでも眺めるような暖かい目線を送って頂ければ世界は平和的に回っていくと思うのです。
そんな田舎者に地下鉄に乗る用事なんか一体何があるんだ?とか、きみの住んでいる町にエレベーターはあるのか?という声が聞こえてきそうな気もするけれど、今はそんなことに答えているひまはない。地下鉄に乗ったぼくは、そこから目的の駅まで一体何をしてやり過ごせばいい?という命題に間髪入れず立ち向かうことになるのですね。
乗り込むホームが合ってたからと言って、油断も隙も無いのが大都会だ。ぼくもそれなりに大人と言われる年だから、黙ってじっとしてろ、と言われたらそりゃ黙ってじっとしていることもできないでもないけれど、それじゃああんまりじゃありませんか。しかしだからと言ってシティーボーイズ&ガールズのように自然体にすまし顔でやり過ごすというようなこともできないので、まぁつまらない話ですがぼくは文庫本を読みながら、「文庫本を読んでいますよ」という顔をしていたのですね。
どうして文庫本を読みながら「文庫本を読んでいますよ」という顔をしたのか、とお思いの方もいらっしゃるでしょうが、文庫本を読んでいる時に他にどんな顔をしたらいいのかぼくにはわかりません。時代の流れというやつなのか、地下鉄乗車成功から目的駅での下車までの過ごし方は、目下のところスマホをいじる、という層が多数派を占めているようで、立っている人がいるかいないかというぐらいの乗車率の車内で、みんなスマホを見て顔面をうっすら明るくしているという場面に出くわした時は、なんだかうわっと思いましたね。いや、良いとか悪いとかの話ではなく、ちょっと前まで存在しなかったものにみんな目を奪われているということを考えると、う~むと意味もなく考えてしまったりしたのです。
それから駅によってなんとなくその駅というか周辺地域の顔というのがあるなぁということもなんとなく思ったりしましたね。黙ってじっとしていても、耳を車内に傾けていればそれなりの発見はあって、なにも変にキャラづくりをしようとして、文庫本を読みながら文庫本を読んでいますよ、という顔をする必要なんか全くないのだ。
地下鉄に何日か集中して乗った時に思っただけのことなので、ただの与太話と思ってもらえたらいいんだけれど、一度だけ非常にムカッとしたことがあった。いわゆる高級住宅街と言われている駅に、街の雰囲気に全く関係のない用事を足しに行った帰りの地下鉄でのことで、妙にめかしこんでいるというか洒落た人が多くて、2世代3世帯を経由してきたお下がりのジャンパー(この時期の一張羅なのだ)を着ていたぼくはなんだか街の雰囲気や空気感に居心地が悪くなって必然的にやや無意味なイラダチにココロをざわめかせていたのですね。街の空気にアテられて情緒及び足取りやや不安定といったところのぼくは、いろんなことがあるけれど、今日はいい天気だ。前を向いてこれからも歩いて行こうじゃないか!そう!今日の!11月の!青空のような心でいつもいようじゃないか!ということを考えながら地下鉄に乗り込んだのですね。
すると明らかにぼくよりも4つか5つは若いであろう、地下鉄での推奨会話音量を大きく超えた声量で話す2人組の女がいてですね、こう言ったのです。
なんか今日って東京の一月みたいだね♪
わかるわかる。東京の一月ってカンジー♪
ぼくはふざけるなと思いましたね。自慢でも何でもないけれど、ぼくは東京に修学旅行以外で行ったことがない。それになんだか、東京=とにかくエライ、スゴイ、イケてる。という空気というのがいけ好かない。よりによって、ぼくが透き通った11月の青空を見て、前をむこうじゃないか!と決心したその日その瞬間その直後に、
あたしらまじバッグとかイケてね?まじ最強!
てか大人ってクソじゃね?でも先輩かっこよくね?
てか次東京いつ行く?(語尾上がり)
といったケバっちょろい(ケバケバしく、甘っちょろそうな様子)小娘たちの「東京の1月みたい」という言葉はぼくを無間のイラダチ地獄へと誘ったのである。
しかしだからと言ってぼくがその場でなにかをしたかというと、なにもせず文庫本を読みながら「文庫本を読んでいますよ」という顔をしてわなわなと無性に沸き立つ心を落ち着かせただけなのである。我ながらなんとも情けない話なのである。
そういうことがあったので、その日は帰り道の乗り換えに失敗して怖そうな高校生の支配する地下鉄に迷い込んでしまったり、降りるはずの駅を乗り過ごしてしまったりしたけれど、ぼくが安アパートを借りている澄川駅ではこんな心温まる光景を見た。
ぼくはぐったりした気持ちで地下鉄を降りて、階段を駆け上がってくる女の子3人組とぶつかった。女の子はあっ、すみませんと言い、そのうち2人の女の子だけが地下鉄に乗り込んだ。そうして3人組の女の子はちょっと照れ臭そうに、地下鉄の扉越しに独自のジェスチャーと表情のコミュニケーションをして、地下鉄は走り去った。残った女の子は逆方向の地下鉄乗り場へとしっかりとした足取りで歩いて行き、おもむろにアルミホイルに包まったおにぎりを食べ始めた。
ぼくはこの女の子たちのイノセントな交流に、すこし心がほころんだ気がした。なんでもない地下鉄での一コマかもしれないけれど、反対方向に帰る友だちと階段をダッシュして、お互い明日もまた学校で会うんだろうに、激しくも静かに笑顔で見送りあって、残された女の子は地下鉄のホームでアルミホイルに包まったおにぎりをもぐもぐと食べ始める。その光景はなんだかとてもぼくの胸を打った。
彼女らと同じぐらいの、年の離れた妹は元気にしているだろうか? 高校を卒業するとき宗谷本線の永山駅で別れたきりのあの子は元気に暮らしているだろうか。今では連絡も取らなくなってしまったけれど、中学の時アルミホイルで包んだおにぎりをいつも食べていたあいつはどこで何をしているんだろう。田舎町にはアルミホイルで包んだおにぎりがよく似合うなぁ。
そんなことがふと頭に浮かんで来て、帰り道の足取りは不思議と軽かった。
最後に、アルミホイルで包んだおにぎりが似合う町にエレベーターはあるのかという疑問についてはきっぱりこう答えます。
 ちゃんと町役場と交流館に一台ずつありまよ。《2020年11月17日記》