●札幌ドームへ行って来た。目的はサッカーを見るためである。コンサドーレがんばれ!という気持ちで、まず地下鉄に乗るところから田舎者のぼくなんかはドキドキするわけですね。普段の生活で地下にある建造物と言うのはかび臭い室(むろ)ぐらいしかないので、まず移動のために地下にレールを敷いてしまっているということにややビビる。おまけに東豊線福住行きに乗り込むとやっぱり車内は混んでいてほとんどの人が今から札幌ドームに行くんだなとわかりやすい服装をしている。これだけでちょっと感動してコーフンしてしまったりした。
●普段は一日にせいぜい五、六人としか会わない生活をしているので、札幌ドームに着くころにはなんだかぐったりとコーフン疲れしてしまった。しかしこの暑い日にこんなにたくさんの人が同じ目的で同じ行動をするというのは、よく考えるとものすごいことだよなぁ、と思い自分の周りには何人ぐらいいるのかななんて数えてみようと思ったけど、いかにも田舎者のすることっぽかったのと、すぐに指が足りなくなったのもあってやめた。
●試合は攻めつ攻められつという手に汗握る展開で、あわわと右に左にボールを目で追っているうちに終わってしまった。おまけにビール半額デーなるイベントが開催されていて、暑かったのもあってスタンドと売店を行き来するのにも忙しかった。
●それにしても座っても歩いても人・ヒト・ひとがたくさんいる(当たり前か)。その日の入場者数は大体2万人ぐらいと発表があり、ふとぼくは先日見た広報誌のことを思い出した。それは今ぼくが住んでいる美瑛町が丁度人口1万人ぐらいになったというもので、そうすると町の総人口の2倍もの人がこの札幌ドームの中にすっぽり収まっているという計算になる。2万人でも、まだまだ客席には余裕があったので、もしなにかの機会に全町民が一丸となって札幌ドームを埋め尽くそう!ということになったとしても、ドームは全然埋まってくれないのである。最大収容人数は5万人以上となっているので、1万人が団結して乗り込んだところで札幌ドームはスカスカなのである。がんばって近隣町村連合を結んだとしてもかなり広域な連合軍になってしまい連携不備が予想され、結局ドームを満タンにすることは難しそうだ。
●そう考えると引退宣言でドームを満タンにした新庄選手のすごさがよくわかるなぁ。えーと、なんの話だったかよくわからなくなってしまったけれど、しかし札幌ドームの満タンが5万人というのと、自分の住んでいる町の人口がちょうど1万人ぐらいというのはなんだかよし!という感じがする。
●なにがよし!かというと、ニュースなんかでよくどこそこの何々に何万人が集まったとか、ナントカ予備軍が何万人いて非常に困ったことですねぇなんて言うでしょう。ぼくはその度にかなり曖昧な感じでぼんやりと数や規模の想像なんかをして、結局どれくらいだよぅ!なんてヤキモキしていた。だけどこれからは、なるほどそれはつまりこの町何個分の人がというワケね、とか、つまりその人たちが集まったら札幌ドーム何個分を満タンにしちゃえるってワケね、なんて訳知り顔風に頷くことができるのである。ローカルテレビで札幌ドーム〇個分の敷地にお花が咲いてまーすというのにもひるむことなくあぁなるほどそれぐらいね、と余裕を持った対応というのができる。
●例えばマラソン大会に市民ランナー3万人集まる。というニュースに対してもただそんなに集まって走ったのかぁと思うだけだったのが、この町の3倍の人が走るために集まったのかと思うとコトのすごさがよくわかる。でも札幌ドームに入れてもまだ空きが大分あるから大したことないななんてことも言えちゃうのである。中年のひきこもりが30万人いるという世のニュースには、漠然と多いなぁ大変なことだなぁと思うだけでなく、満タンの札幌ドーム6つ分もの働いていないおじさんが全国にいるのかと思うと、より具体的にぞっとすることができる。
●そして、個人的な話でいくと、浜田省吾のファンクラブ会員が大体5万人なんだけれど、この町5個分もの人が熱烈に浜田省吾を応援しているのだな、みんなで集まったらちょうど札幌ドームを満タンにできるなと思えば、今までより熱く胸をトキめかすことができるではないかということに気が付いた。サッカーを見に行った話はどうなったという気もするけれど、札幌ドームのおかげで世の出来事をわかりやすく身近に感じられるようになったのは間違いないのだ、という話でした。〈2019年7月19日11:14記〉
農業見習い中
白木哲朗のエッセイ百番勝負