045:いい顔で便利とか進化を口にするタヌキオヤジに憤る

世の中には色々なルールというものが存在する。無差別に女性のスカートをめくってはいけません、とか、人前で全裸になってはいけないよ、というようなある程度大人になれば納得するルールや、働き始めると、必ず15分前には出社して、出勤時間には100%の状態で臨むこと、先輩上司の言うことには意見しないこと!というような首をかしげたくなるような会社ルールや、人を殺してはいけません、物を盗んではいけませんというような道徳的ルール。とにかくあらゆるルールや決まり事や規則で複雑な平成末期のぼくたちはがんじがらめにされている。
面白くないな、と思う。よくないな、つまらないな(大体同じ意味か…)と思う。
ルールは人に迷惑をかけないということを大前提として、己で定めるものであり、人から、あるいは団体や組織から有無を言わさず押し付けられるものではないんじゃないか、エッ!?とさえ思っている。
みんながお互いを尊重し合って良き行いは讃えつつ、悪しき行動、態度、または眼付き、言葉遣い諸々に対しては心ある年長者や先んじた先達がなだめつついさめつつ道を正してやるというのが理想の社会というものではないのか!と思うのである。そんな一人一人が、年が子供だろうが大人だろうが関係なく、交じり合って生きているというのは一種の理想であり夢でありユートピアではなかろうか。
しかし、そんな絵本やファンタジーやSFの世界の話なんかしてないで、現実を見なさいよ、と訳知り風の水商売オババあたりに言われたら、キザったらしく「わかってんだけどよ…」と切なく焼酎の水割りを胃に流し込む20代後半独身男性というのも考えられるのである。
話はルールや規則についてであった。
ぼくだって一応大人と言われる年なわけで人並の経験はして来たのだから、そんなユートピアはもう遠い過去の話なのだ、ということはわかる。そいつを取り戻すのにゲリラ革命的市街戦を取り仕切る団体に所属し、古き良きムラ社会を!という活動に参加したりする気持ちはまるでない。というより、そんな団体こそ規則やルールがうるさそうだしなぁ。
グローバル化、IT革命、働き方改革等エラソーなつまらない大人たちあるいはニタニタハイエナ拝金笑いの若年寄共が叫んでうるさいことこの上ないけれど、結局やつらのやっていることは世のため人のため、ひいてはあなたの生活向上、ライフステージがアップでキャッシュレスで増税なのです。という話で悲しいことにその甘言にほいほいと夏の盛りのバッタが草むらに飛び込むように群がるバカヤローがいっぱい、いっぱいいるということなのだ。ダセェ。と思う。
そうしてそうして、ぼくなんかには宇宙語にしか聞こえないその人たちが言う言葉や新しいシステムで、本当に幸せになった。生活が豊かになった!という人をぼくは知らない。みんなもっといいものを目指して疲れた顔をしている気がしてしょうがない。
例えば昔三種の神器と呼ばれた、テレビ、洗たく機、冷ぞう庫というのが現れた時には、特に日本のお母さんが手放しで喜んだであろうことが想像できるのだけれど、飢えて死ぬ人もいない豊かな今の日本で取り上げられる仮想通貨だとかペイペイだとかなんとなくヒワイな香りのする新サービスとか、目線を変えてサッカーのVARとかはただ世の中を複雑に生き辛くしてしまっているだけなのではないか?とぼくは激しく思うのである。
もう一度、コタツにみかんに白黒テレビ。おじいちゃんおばあちゃんも息子夫婦も孫もニッコリという単純にいいなぁ、という生活に戻ろうではないか、と目を血走らせつつ節分の日に一人思っているのである。
《2019年2月3日記》