036:憧れのシーサイドハウス

家は質素がいい。そして家の中には生活に必要な最低限のものだけがあるという趣が望ましい。いろいろ意見はあるだろうけれど、ぼくは高台のテラス付きの頑丈な作りの豪邸やタワーマンションの最上階というようなところよりも、河原の近くの平地にぽつんと建っている木造トタン張りのボロ小屋や、雨風は凌げそうだなぐらいのくたびれた建物に心がときめくのです。
いきなり何を話しているのかと思う人もいると思うのですが、先日海沿いの道を車で走る機会があったのです。その日は天気も良くて風も穏やかで車の通りも少なく、海沿いを走るのにこんなに良い日はないんじゃないかというシチュエーションでした。わけもなく高揚感が湧き上がってくるような日で、引っ越しをして新しい生活が始まるような日の気分だったのかもしれません。
そこでぼくはドンピシャリ!という感じでこんな家に住んでみたい!という家を見つけたのです。それは海沿いの堤防ふちに建っている家というよりかは漁師の作業小屋というようなトタン張りの建物で、その作業小屋を見たときに瞬間的にこういうところに住んでみたい!という衝動が湧き上がったのです。リアリストで現実主義者の人(おんなじ意味か)はそんな海沿いになんか恐くて住めないとか、海の見える家に住むとしてもやっぱり高台から海を見下ろしたいよねなんてことを言うのでしょうが、ぼくはどうせ海辺に住むなら生々しい波の音がいつでも聞こえて、波の飛沫が壁を打つような破滅的な家に住みたいのですね。なにより屋根はトタンに限る!と思っていて、ラーメンはどこどこの味噌に限りますなぁとか、カレーはやっぱりチキンカレーとかいう人がいるように、ぼくは屋根はトタンに限る!と思っているのです。それにはいくつか理由があって、トタンの屋根と言うのは雨が降ればすぐあっ、雨が降ってきたなと言うのがわかるからです。夏の間は美瑛町にある木造トタン張りの農機具置き場の二階部分を間借りしているのですが、そこで夜中に寝そべって文庫本などを読んでいる時にぽつぽつとトタン屋根に落ちてきた雨の降り始めの音を耳が拾った時なんかはもうたまんないなぁと幸せな気分になったりするからです。
生意気にも鉄筋コンクリートのマンションに住んでいたこともありますが、その時には外に出て初めて雨が降っていたことに気付いたりしたことがあって、その度にぼくはなんとなく損したという気分になっていたのですね。わかりやすいピーカンの青空と白い壁の大きい玄関のある家も好きですが、ぼくはどっちかというと粗末な家と雨の日が好きなんです。隙間風があろうがトタン張りの隙間に鳥が巣を作っていようが、そんな家というよりは小屋と言った風情の建物に住むのがたまらなく好きなのですね。子どもの頃に屋根裏部屋に憧れたり、スーパーハウスやプレハブに自分だけの空間を求める気持ちと言うのが誰にでもあったでしょう。大人と呼ばれる年齢になった今でもぼくからその気持ちがなくなってくれないのです。
たとえば海の見える家に天候が穏やかで温かい季節に女の子と2人で暮らすと言ったシチュエーションがあるとしますね。大体の人は海沿いの国道から少し外れた静かな二階建ての一軒家とかペンションだとか、高台の別荘みたいなところに住みたいと思うのでしょうが、ぼくはそういった暮らしやすさの誘惑に惑わされることなく、木造トタン張りの作業小屋に住みたい!と思うのです。
これはもう当然ながら架空の妄想のファンタジーの話なのですが、ある夏ぼくはひとりの女の子とふいに出会うのですね。その年はいつにも増して長い冬で、やっと来た春を喜んでいたらいつの間にか夏になっていて、あまり真面目に仕事をする気がないぼくはふらっと海を見に出かけます。家族連れとかカップルがいるような海沿いはいやだなぁと思って、誰も来ないような海岸を見つけてぼくは意味もなく遠くを見つめたりします。するとなんだか寂し気に遠くを見てるんだか波打ち際をみているんだかわからない女の子がいて、ふいに目が合ったりしてなんとなしにお互い気まずい感じで会釈をしたりするのですね。
そこから1週間ほど急に時間は飛んで、ぼくはその女の子と暮らし始めるのです。どうして急に時間が飛ぶのかとか、一緒に暮らし始めるまでになにがあったんだとかいう疑問は野暮というものですよ。寂しさと退屈さを持て余して、なにか特別で刺激的なことはないだろうかというもやもやした気持ちを抱えていたうら若い男女が誰も来ない海岸で出会ってひと夏の恋に落ちる。と言うのはあまりにベタですが、妄想の話なのでいいではないですか。波の音だけが聞こえる夕陽の渚で、なんだか今日初めてあった気がしないね、とか、あなたと話していると自分の話を聞いてるみたいだわ、なんて安っぽいやりとりがあって、そういった現実逃避的な短い日々をぼくらは過ごしたのです。
いつものように今日はどうしようかと誰もいない海岸に二人でいると、たまたま犬の散歩に来た近所の元漁師のおっちゃんがぼくらを見つけて、ふらふらしてるんならあそこ好きに使っていいぞ、とそのトタン張りの作業小屋にぼくらを詰め込むのです。ひとまず腰を据えてみたらなんだか居心地が良くてぼくとその女の子は終わりがすぐ来るとわかっているのに甘い夢を見て暮らし始めるのです。うひょ。
堤防の上になんとかこさえましたというその作業小屋はまともな扉すら付いていなくて、床板の下はそのままテトラポットという感じのところなのですが、そこではいつでも潮騒が聞こえるし、夜更かしをして日の出を見ながら眠りにつく時なんかは二人はほんとうに心穏やかに愛だけを見つめてニコッと頷きあったりするのですね。ロマンチックですねぇ。
海が荒れてトタン小屋を激しい雨がこれでもかと叩き、根こそぎあらゆるものをさらっていくような暴風の日もありますが、そんな時は二人でなにも言わずただ抱き合って明るい夜明けを待ったりするのです。ロマンチックですねぇ。
もちろんそんな経験は全くないのだけれど、木造トタン張りでいい感じの家というか小屋を見る度にぼくは屋根裏部屋に憧れた少年時代を思い出しそこに住んでみたいと思ってしまい、同時に冴えないこと続きの現実を塗り潰すように架空のワンシーズンのアバンチュールを想像してみたりしているのですね。病気かなぁとも思うのですが、どう考えても立派な一軒家とか高層マンションの最上階まるまるワンフロアというようなところにはまるっきり縁がない人生なので、こじんまりとトタン屋根を見つめながら今日もひとりボロ小屋でむけけと笑っているのです。
もうすぐ春ですね。