011: 八雲日記

どこの家でもやっぱりお母ちゃんがおしゃべりでお父さんたちは口数少ないがスケベ話には饒舌になるという世の理がこの小さな港町でも通用するらしく、世界中どこでも同じように家としての方向性の決定権はお母さんが握っているようだった。
ぼくとしては記憶にない寝しょんべんたれ事件の翌朝のこと。よたよたと起きて青くなってしまい、これはもう駄目かも知れないな……と、その事実を聞いたときに思ったのだけれど、そのお母さんは今日はスーパーで特売の日よ的な日常会話としてその顛末をつらつらと話して、「でも、ドアをガッチャンガッチャン開けてる音が聞こえてきてたから一所懸命トイレを探してたんだねぇ」なんてのほほんと淡々と喋って、「てっちゃんは朝はごはん派?パン派?」と聞いてきたので、ぼくは「ごはん……ごめんさい……」と言うしかない状況だった。
これにはとても助かった。お父さんやお兄ちゃんや、その頃起きてきた友人が口々に「そんなことあったのか!」「いやぁ俺の部屋でなくてよかったぁ!」などと笑っていたので、ぼくはなんとなく心の底からほっとした。
その日はその家のお姉ちゃんの部屋を間借りしていて、お姉ちゃんはたまたまいなかったので、どんな反応をされるだろうかとドキドキしていたのだけれど、今日会ったら単純に陰湿さや嫌味も皮肉もなく「あ、しょんべんたれ!」と陽気にケタケタと笑いながら話しかけてきたので、そこでぼくはあぁ、許された……と思った。顔から火が出るほど恥ずかしく、すまなさと申し訳なさと自己嫌悪を抱えていたので、ぼくは救われた。
もし、先週まで働いていたホクレン十勝清水製糖工場でそんなことをしでかしていたら即刻クビになっていただろうというリアリティ溢れる恐怖感もあった。
そうしてその翌日夜中の2時半に起きてホタテの漁に行ったのだけれど、あんなことをやらかしてしまったのでなんとか取り返さなければ!と意気込んで出かけたおかげか、「だから寝しょんべんたれはだめなんだ」というようなことを言われることもなく無事に初日の仕事を終えることができた。心配していた船酔いもなかった。美しい日の出を海から見ることもできた。〈3月8日19:54〉