012:世界で一番エライ人

突然ですが、世の中で一番偉い人と言うのは誰だと思いますか?
お父さん?お母さん?学校の先生?あ、校長先生?いやいや総理大臣だ、IT関係の社長だ、土建屋関係だ、ドレス着用関係の女の人たちだと色々言う声もあろうけれど、うるさいうるさい。
ぼくは大きな声で言うのである。世の中で一番エライ人は食べ物を生産する人である!ええい!と意味もなく見栄を切ってしまったりするのだけれどそうなのだ。いくら金を持ってようが頭がよかろうが、ただならぬ人脈をひけらかしたりしてみても、結局その日食うものを胃袋に納めねば人はなにも出来ないのだ。
そうなのである。やれハイテクだユーチューブだSNS だと新しいコンテンツに乗っかって、新しい時代だぜとイェイイェイ踊ってみたり、これからはデジタルですからね、情報を操って商機を逃さないのが勝ち組なのです。とニヒルに主張しても、なんかそれって違うんじゃないだろうか?と思ってしまうのである。
パソコンやスマホを駆使して流行りをつくってとにかく目立つのが今の時代の生き方だとしたら、そんな電波と電気に頼りきった自分のけつも拭けない生き方はなんだか不便でカッコ悪く思える。もっともっと普遍的で不変的な、どんな時代のどんな場所でも楽しく生きていく生き方をぼくは探してみたい。
ギター一本で世界を変えてしまう時代は終わってしまったのかもしれないけれど、コンピューターが世界を支配する世の中にはまだまだなって欲しくない。だって誰しも生きている実感を伴った仕事をして、一日の終わりにはうまいものを食べてお酒でも飲んで楽しく充実した一日を送りたいでしょう?
そこにはきっと食うものと着るものと寝床と、笑いあえる人がいれば充分なはずだ。そうやって生まれて死んでいくのが生き物としての理想のようにも思える。空の下で汗かいて働いて食べるごはんのほうが美味しい気がする。
そうはいっても世の中にはいろいろな決まり事や仕組みがあって、人にもそれぞれ事情があるのだから、そんな絵にかいたような理想論が通じるほど単純な世の中じゃないことは知っている。でも、ペットが死んで亡骸を埋める適当な土地も見当たらないような場所に寄り集まって暮らす社会は、根本的におかしいような気がするのである。
子どものころ読んだ児童書で、人の役に立つロボットが開発されて、私たちの暮らしはとてもよくなります。というようなことが書いてあったけれど、今はこう思う。賢い人がロボットをつくります。昔労働者と呼ばれていた人たちは感情と生きる意味を見失い、ロボットと呼ばれています。なんだか恐ろしいではないか。ははは、ばかめ、そんなことあるか、と笑い飛ばすことができるだろうか。
ぼくらは血の通った人間だから、食べなければ死んでしまう。お金がいくらあっても、お腹は膨れない。なにもかもなくなってしまったとしても、その日食うものがあればなんとかなる。
だからぼくは世の中で一番偉い人は食いものを作る人なのだと、今日のところはそう思うのである。
〈2019年5月6日22:04/久々に戻った美瑛にて〉