●八雲町に来て数日がたつ。
●憧れの海の町である。最初のうちは住んでいる部屋からも簡単に海が見えてしまうことに只々感激してしまい、バカ、海なんかそんな珍しいもんでねっ!なんて言われたりしたので、いつも山の木々を見ているときの気持ちのように当たり前の風景になるのだろうかと思っていたけれど、未だに毎日海をみる度にぼくの心はあからさまにコーフンして気分がウキウキしてくる。
●海の仕事も始まった。毎朝3時に起きて、船に乗り、ホタテを水揚げしている。この仕事のことを「貝出し」と言うのだけれど、明日「貝出し」だ、という親方衆の言葉を初めは「買い出し」だと思って聞いていた。
●コンビニも商店もない小さな集落なので、親方衆もシフトを組んで「買い出し」に行っているんだなぁ、なんかいいなぁ、そのうちぼくもついて行きたいなぁ、などとさえ思っていた。
●「貝出し」を3日ぐらいして、ようやく自分がしているホタテの水揚げを「貝出し」と言うのだと理解した。それまでも船の上で何度も「貝出し」という単語は出てきていたのだけれど、マヌケなぼくは「仕事中でも家のことを考えているなんて立派だなぁ」と口をポカーンと開けていたりした。
●水揚げが終わって、「ところでいつみんな買い物に行っているの?」と友人のコーキくんに聞いてみると、ポカーンとした顔で「なんの話だ?」と言うので「いやいや、みんないっつも言ってる買い出しのことだよう!」と言ったところで彼は内浦湾の遠く遥か彼方へ一瞬視線を移し、「かいだしってのは貝ば出すってごとよ!買いものじゃねぇ!」と呆れ顔で海からホタテを引き上げる時の動作をして少し照れたように笑った。
●その「貝出し」を終えた後は家に戻り朝ご飯を食べる。
●とにかく朝昼夜とごはんがおいしい!ということを今日は言いたいのです!
●ぼくが世界で一番好きなものと愛して敬い、ありがたいです、おいしいです、大好きです、と特別な感情を持っているイクラが毎朝出てくるのである。
●最初は特別に「初めての時だけよ♪」というシロモノとして出てきたものかと思ったのだけれど、毎日毎日朝ごはんに並び、その度にぼくは嬉しくてウヒョウ!とか言ってしまうので、「そんなにイクラが好きが、てっちゃんよう」とその家の母さんが聞いてきた。
●ぼくはイクラをほかほかごはんに乗せながら、「世界で一番イクラがダイスキィー!」とかマヌケなことを言ったと思う。
●どうもこの辺ではイクラは冷凍焼けしたら捨てるぐらいで、そもそもこの毎朝毎朝並ぶイクラは「脂っぽくてうまくねぇけどよ」というシロモノらしかった。ぼくは「こんなにおいしいものも、こんなに幸せな朝ごはんも、世界中どこへ行ったってない!」と嬉し涙を心で流しながら食べていたので、少なからずショックを受けた。
●おまけにコーキくんが「イクラだら、なんもその辺のものっつか、当たり前のもんだからよ、マジメにごはんの倍ぐれぇのっけて食っていいど。おれならイクラよりシーチキンのほうがうれしいもんな」などと海産物貴族のようなことを当然のように言うので、ぼくはびっくりしてしまい、その時のコーキくんの言葉は一言一句違えることなくつるつるの脳みそに衝撃的に刻み込まれた。すごいぞ八雲町!
●イクラに関してはひとまず以上としておきたい。偉そうに言うけれど、イクラの話になるとどうもコーフン逆上し、空腹ひもじさが頭の中でぐるぐると荒波を立て始める性分なのでしょうがない。それぐらいイクラが好きなのである。
●さらにびっくりしたのが、毎日毎日こんなに豪華でいいのですか!というほど食卓テーブルで華やかに輝いているいわゆる「海の幸」である。ホタテを始めとして、ホッキ、毛ガニ、ボタンエビ、イクラ、とびっこ、たらこの魚卵三兄弟に、大衆魚チャンピオンの鮭などなど。ホタテやホッキは貝柱の刺身の他に山盛りの耳。これが皿一杯に出てくる。
●例によってじゃかじゃか食えと豪快に言ってくれるので、「よーし!」と意気込んでフグの刺し盛よろしく箸で目一杯サルベージして胃袋に収めていくのだけれど、食べても食べても全然減らない。ホタテの耳なんかはジャキジャキした触感をいつまでも楽しんでいたいけれど、とてもそんなチンケな量ではないので、2、3回かじってジャキジャキ触感を楽しんで、ソーメンのようにちゅるんと飲み込んでしまう。それでも皿の底は見えないので、翌日炊き込みご飯になったり、汁物の具になったり、ビール持って来い的な炒め物になったりしたそいつと再会を喜ぶことになる。
●う~ん、ごはんがうまいぞ八雲町!
〈3月8日20:30記〉
農業見習い中
白木哲朗のエッセイ百番勝負