●4月のある日のことです。ぼくらはバイクに乗って走り出しました。特にわけもなく、この時期と秋の終わりにぼくがお世話になっている畑の人たちとバイクに乗って風になる。という遊びをするようになって、各々仕事のスキを見つけては畑仕事から脱走するようにあちこちあてもなくぷらぷらしています。
●初めは真夏の暑い暑い時期に、
「この忙しさが終わったらさ、バイクでどこかに行きたいね、海なんかいいよね」
なんて、もう永遠に暑くて忙しい夏が終わらないんじゃないかというような死亡フラグじみたことを誰かが遠い目をしながらぼんやり呟いて、夏の終わりにどこかの海に行ったのが始まりでした。なんとなく無目的に目的地だけ決めてとりあえず行って帰ってくることを楽しむ。という感じだったのですが、あちこち行くたびになんだか楽しいね、ということになり、初めはレンタルバイクを借りていた元ライダーの農場長も今ではカワサキの単気筒のオフロードバイクをブイブイ言わせていたり、行き先はどこでもイイヨ、トバセルトコロネ、なんて言っていた陽気なネパール人はフルカウルの青い新車を購入して、今では率先して行きたいところを探して目的地のプレゼンテーションを始めたり、去年免許を取ったばかりの農場のエライ人、通称じょーむは買ったばかりの250ccのバイクを冬の間に400ccに買い替えたりと、ともすればお楽しみは冬までおあずけです!となりがちな丘の町の畑仕事の季節にそれぞれ息抜きと言うか息継ぎと言うか、いい気分転換にバイクを楽しんでいるのです。
●年々乗り始めの時期も早まっていて、去年は確か6月に紋別に行ったのが初めてだったと思うのですが、今年は4月に早速海を見に増毛に行ってきました。どうして増毛か、というとこれは実に単純明快な理由で、去年は紋別に行ったから今年は逆方向だ!ということで増毛になったのです。
●たしか去年紋別に行った時は、その前の年に増毛に行ったから今年は逆だ!つまり紋別だ!となったような気がしていて、なんだかあまりに単純すぎないか?と思わないでもないのですが、このぐらいのゆるさがなんだかいいのですね。
●ちなみにどうして初乗りの目的地を増毛と紋別とを交互にしているのか?とぼくなりに推測してみたのですが、おそらく美瑛から一番手っ取り早く行ける海への道が紋別方面と増毛方向にあるからだと思うのです。ぼくたちは雪のない間、北海道の真ん中あたりの盆地にいるのでとにかく海を見ることを第一目標として走り出すくせがあり、徐々に暖かくなると知床に行ってみたり羽幌に行ってみたり活発に動き出す傾向もあるのですが、まだまだ肌寒い4月ですから、どうしても海と言うと手っ取り早く増毛か紋別になってしまうのだと思われます。
●では留萌の立場はどうなる!とおっしゃられる方もいらっしゃるかもしれませんが、ぼくらは散々同じような理由で海に遊びに行くと言えば、とりあえず留萌!という風土で育ってきているので、せっかくバイクに乗るんだし、留萌はね…今はいいでしょ……なんてことを生意気にも思っていたりするのです。留萌の人には申し訳ない気もするんですけど、どうか気を悪くしないでください。
●なんだか前置きが長くなってしまったような気もするのですが、4月のある日にとにかくぼくらは海へと向かい走り出しました。環状通りのセブンイレブンで待ち合わせをして、それぞれにっこりと100円コーヒーなど飲みつつレッツゴーとまずは深川へと向かいます。深川から留萌方面への無料の高速道路に乗り、鼻歌などルンルンと歌っている間にあっというまに海が見えてきました。
●感慨深くもなんともなく海を目にしてしまったので、なんだか損をした気分になってしまいましたが、晴れた4月の午前中にバイクに乗って高速道路から遠くに見える海はなんだかうそみたいにきれいでした。
●延長されたばかりの高速道路のトンネルを抜けて一気に近くなった海も春のやわらかい日差しに照らされて、やっぱりうそみたいにきれいでした。なんだかんだぼくらは海と言えば留萌!というもことが脳みそに深く刻み込まれているようで、誰が言うでもなく増毛へ向かう途中に黄金岬でバイクを停め、
「いやー、海だねぇ」
「海ですねぇ」
なんて言いながら初めて海を見る人のように、しっかりと4月の穏やかな陽に照らされた海を目に焼き付けました。
●こんなにじっくりと海を見るのは久しぶりだなぁと思いしばらくしてから周りを見てみると、みんなポカーンと何も言わず海を見ていたので、ぼくもポカーンとしばらく海を見ていました。遠くに見える山にはまだうっすら雪が残っていて、ちらちらと陽の光を反射する凪いだ海にゆらゆら浮かぶカモメ。道端では野の花が咲き始めていて、柔らかい潮風が水仙の薄い春色の花びらを優しく揺らしていました。
●岩場には釣り人がまばらに立っていて、時々立ったり歩いたりのんびりまた座ったりしていて、ガードレールのすぐ下の磯場では家族連れがカニ釣りを楽しんでいました。誰ひとりとして罪のないイノセントな世界がそこには確かにありました…。
●なーんて叙情感溢れるポエミーなことが思わず浮かんでしまうような穏やかで優しい世界が黄金岬にあったのですね。道路の掲示板には不要不急の外出の自粛を促す文章が右から左に流れていたけれど、文句あっか!と言うまでもなくぽつぽつ閑散とした、なんだか一昔前の古き良きとでもいうような世界がそこには広がっていました。
●すぐ近くに停まっていた車をふと見てみると、お母さんと2人の子どもが海を見ながらアルミホイルに包まったおにぎりをにこにこと食べていました。ぼくはカニ釣りをする小さな子を見ながら、少年団で行った海水浴で仲間外れにされて一人でカニ釣りをしていた小学校5年生の時のことを思い出したりしていました。むひひ。海育ちの人には笑われるかもしれませんが、海を見るというだけで心優しくセンチメンタルな気分になるのが山育ちの特徴なのです(大げさだし全然違うかもしれません、わはは)。
●それからぼくらは増毛へ向かい、陽気なネパール人が目星をつけていた増毛駅をうろうろして線路の終点で意味もなく写真を撮ってみたり、農場長が増毛でなんか聞いたことがあるというすし屋で昼めしを食べてみたり、港の近くのお店でじょーむがお土産に酒のあてを買ったりして、ぼくらはぼくらなりに増毛を楽しみました。なんだかデジャビュ感のある光景でしたが、多分気のせいだと思います。
●増毛で色々動き回ったんだなぁと思う人もいるかもしれないですが、今は駅だけ残っている増毛駅も、お昼ご飯を食べたおすし屋さんも、お土産を買ったお店も港も全部歩いてすぐの距離なので、下調べもなくちょっくら行ってみるかスタイルのものぐさなぼくらにとって増毛と言うところはなんだかちょうどいい感じに楽しい町なのですね。なんとなく再来年あたりの同じころにまた遊びに行くような気がするので、今度はおすし屋さんでうに丼を食べてみたいなぁとぼくはひそかに思っていたりもしているのだ。むふふ。
●それから腹も膨れて、地の土産物も入手したぼくらはまた海をしばらくぼんやり見つめて、あんまり長居しても寒くなってくるからね、なんてやる気のないことを言いながら帰り道の相談を始めました。しかしあまり目的意識や行動理念を持ち合わせていないぼくらは、海さえ見れたらいいやぁ、しかしそのまま来た道を戻ってくのもなんだしねぇ、せっかくだからもうちょっと海を見たいしねぇ、という理由でなんとなく少し遠回りな感じのする浜益方向へバイクに乗って走り出し、滝川と富良野を経由してぐるりと地図上で見れば小さな円を描くようにして帰路に着きました。
●海を見てのんびりとして、さらに海のものを食べれたらもう言うことない!ということ以外まったくのノープランな感じの畑からの脱走ですが、ぼくらが非日常を求めて海を見に行くように、もしかしたら普段ぼくらのいる畑を見に来ている人達も、都会の生活に無い非日常を求めてはるばる丘の地形と畑の景色を観に来ているのだろうか?
●そんな気持ちで誰かが丘の町を見に来ているとしたら、明日から「畑なんて見てなにが楽しいんだろう?」なんて思うこともなくなりそうだなぁ。というようなことを帰り道ぼくは思いました。
●今日感動した海沿いの道を思い出しながら丘の町の観光道路(ぼくらにとってはなんでもない生活道路)を通って帰ると、なんだか「わざわざ畑を見に来てなにが楽しいんだろう?」と不思議に思っていた、いわゆる観光客の人たちのことを急に身近に感じました。今年の初めての畑からの脱走でした。
農業見習い中
白木哲朗のエッセイ百番勝負