●もしぼくが街に住んでいて、生まれた時から仲良しで、大人になっても変わらぬ友だちという存在がいたら、カフェなんてきらいだよ、とひねくれたことは言ってなかったかもしれない。いやきっと言ってなかったと思う。
●けれどもぼくは小学校3年生の時、美瑛に引っ越してきて、町境の市街地に3年間住んで、それから山の方へ引っ越したので、幼馴染というものがいない。それどころか、今付き合いのある同世代の友人さえ一人もいない。思えばさみしく悲しい少年時代だった。
●そんなぼくがどうやって一人の時間を過ごしていたかというと、ただその辺を歩いたり、すぐ裏の川へ行って、座りやすそうな岩を探しては何を考えるでも何を見るでもなく、ただその子供には大きく見えた岩にヨイショと座って川の音を聴いたりしていた。
●田んぼに囲まれた平屋の家から真っ直ぐ川へと向かうあぜ道を長ぐつを履いて歩いたものだ。足を振り回して、伸びっぱなしの雑草を蹴りながら。虫が鳴いていて、蛙がぴょこぴょこ跳ねて、みみずがひからびていた。
●もし、そんな子供時代を、住宅街で、製造元や流通経路や発生過程を互いに知り合っている友だちと過ごすことができたなら、「よくいくカフェは3軒ぐらいかなぁ」と言っていただろうし、カフェを特集した雑誌を見る度にコメカミをピクピクさせることはなかったんじゃないかと少し真剣に思う。
●ちょっとした時間つぶしや心の休息が街にあるカフェの役割だとするなら、ぼくが美瑛で一番好きなカフェは、我が家からまっすぐ土の道を歩いた先にある大きな石ということになってしまう。その大きな石に座って川の音を聴きながらゆっくりと目を閉じている時間が、ぼくにとっては心安らげる時間であり、ほっとできる場所なんですねぇ。
農業見習い中
白木哲朗のエッセイ百番勝負