001:月刊DoBike1992年4月号

旅作家の舘浦あざらしが、雑文書きになって32年の間に、いろんな雑誌や新聞に書き散らかしてきた膨大な記事のうち、運よく手元に残っているものを紹介しようという個人的自己満足企画であります。が、30年以上も続けていると、昔の北海道の温泉や鉄道ネタなど、「えーっ、そうだったのーっ!!」とぶったまげる記事も結構あったりするので、あざらしには興味がない温泉ファンや鉄道ファンも読んでみてくださいな。

記念すべき1回目は北海道で唯一のオートバイ専門誌だった月刊DoBike1992年4月号(AB版/1992年3月20日発行/エムジーコーポレーション)。今からちょうど27年前ってことは28歳の時の記事でありますな。
5号線のんびり旅というタイトルでカラー4page+モノクロ6page=合計10pageの記事を書いているんだけど、27年ぶりに読んでみて、ぶったまげたのなんのって。だって、いきなり中ノ沢駅が出てくるんだもん。中ノ沢駅といえば「函館本線へなちょこ旅3」に、あざらしくんとぶぶまるが初めてのキスをする舞台として登場する、とっても可愛くてロマンチックな無人駅でないの。そうかぁ、28歳のおいらもこの駅に魅力を感じていたのかぁ。こーいう感性って年をとっても変わらないもんなんだね。

 

しかも、当時のおいら、おれ、自分、Bikeと汽車の並走シーンにこだわっていたみたいで、おかげで鉄道的に貴重な写真が残っていたりしてね。ジェイドと並走しているキハ40の色が白にグリーンとブルーのラインが入ったJR北海道塗装じゃなくて朱色一色なんよ。これって、本来は「首都圏色」だったけど、徐々に姿を消して、山陰本線の鳥取駅~米子駅間などで走っているぐらいだよね(間違っていたらどんどん指摘しておくれよ)。朱色のキハ40が北海道でも普通に走っていたのかぁ。20代のおいらは鉄道は好きだったけど細かい情報には興味がなかったので、記憶には何も残っていないわけで、自分で書いた記事を新鮮な気持ちで読んでいるのでした(^_^.)。
そうそう、この当時で「各駅停車は1日7便しか走っていない」って書いてあるけど、その24年後、あざらしくんとぶぶまるがキスをした時の中ノ沢駅の時刻表(平成27年3月14日改訂)でも各駅停車は上下各7本。この3年ぐらいの間に駅舎はずいぶんなくなったけど、函館駅~長万部駅間の本数は減ってないんだね。別の意味で、これまたびっくりさ。

温泉も入りまくっているぞ。まずは長万部温泉ホテル。そうだ。まだ美人若女将が居た頃のことだ。少しあとで、偶然にも、この美人若女将が出て行く瞬間に遭遇するんだけど、その話はまたいつか(^・^)。
八雲町では熊嶺荘、銀婚湯、ホテル光州の3軒に立ち寄っている。熊嶺荘では「はは~あ、湯どこ桜野なさけの所、咲いて咲きます、咲いて咲きます湯の香り・・・♪」という熊嶺荘音頭が気に入っちゃってるし、銀婚湯では「結婚25年目どころか、生まれて25年目の若者なんてお呼びじゃないって感じだ」と、YHや民宿ばかりで高級和風旅館に慣れていない貧乏くささ丸出しだし、思いだしたよ。ホテル光州(現遊楽亭)の社長に「うちを取材するなんて、あんたは目の付けどころがいいぞ」って褒められたけど、紹介は2行だけだったんだ。にゃはは。

森町では今はなきワールド温泉牧場と濁川の新栄館に立ち寄っている。ワールド温泉牧場は野趣あふれる巨大な露天風呂が自慢なのに、33度の冷泉を沸かしていたので燃料費の高騰が廃業の原因のひとつになったみたいなり。この頃のおれ、おいら、まだ温泉に詳しくなかったので「高温の源泉に大量の水を入れているトムラウシ温泉なんかよりはるかに効き目があると思う」などと書いているでないの。トムラウシ温泉がダメなのは加水しているからではなくて塩素を入れているからだということがわかっていなかったんだね。お恥ずかしい。一方で新栄館は「加水していても名湯だ」と書いていたりして。まだ心のどこかに「加水は悪いこと」という間違った思い込みがあったから、頭でっかちな知識と肌で感じた名湯の間で揺れ動いていたんだろうね。無知ってのは怖いなぁ。泉質分析書の見方も知らなかった頃だから許しておくれよ。

懐かしいなぁ。この頃は函館に入るには旧国道だったので、名物のアカマツ並木を通ったんだよね。あの並木を越えると函館に入るという風情があったものさ。
ちなみに、1992年頃はまだ取材予算があったので、おいらとカメラマンとモデルくんの男三人旅が基本パターンだったんよ。ロングボディのハイエースにバイクを積んでの三人旅で、もちろん、取材先は一切アポなしで、宿は飛び込み。地図だけを頼りに旅に出ていたんだ。遊びでもびびるのに、仕事でそれができたってところが20代のすごさだよね。