044:本の雑誌4月号が泣けるのだよ

1980年代からずっと愛読し続けている雑誌がある。「本の雑誌」だ。初代編集長は椎名誠アニキ。とは言っても、後半は「カイツブリ居眠り号」と「デンデンムシ居眠り号」だったら「カイツブリ」かな。ぐらいの仕事ぐらいで、実質的に長年編集長を務めていた浜本茂さんが今は本の雑誌社の社長兼編集長として倒産寸前騒動を乗り越えるなど才を発揮している。ちなみに、あざらしが初めて東京都内の書店(今はなきジュンク堂新宿店)でトークイベントをした時の対談相手が、まだイベント慣れしていなかった浜本茂さんだったりするのだよ。もう忘れ去られているだろうけど。
その「本の雑誌」。3月号の特集「文学館に行こう!」で見事に裏切られてしまったので・・・というのは、ご当地おすすめ文学館!のページの北海道編で声がかからなかったことを勝手に裏切られたと言っているだけなんだけどさ、でも、そうでしょ。小樽文学館は「旅する本の雑誌」とかぶっているし、有島記念館を紹介するなら岩内の木田金次郎美術館とセットで廻ると「生まれいずる悩み」の世界にぐぐっと迫れて感動すること間違いなしと紹介すべきだし・・・。もう。と、憤慨しつつも、大森望さんが紹介している韓国SF短編集「となりのヨンヒさん」がめちゃめちゃ面白そうやんけ、とか、小林信彦の10冊にフリースタイルの本が2冊も入っていたよ、よかったね吉田保などと思ったわけで、「最近の本の雑誌はだめだね」なんてことを庭のヒヨドリにつぶやいていたんだけど、ぬおおおおおっ!! 「本の雑誌」4月号が届いた刹那、思わず、南西の方角に向かって「浜本さーん!!ごめんよー!!」と叫んでしまったなり。
まず、その分厚さ。通常136ページぐらいなのに、4月号は192ページ。厚さにすると12.5mm。ド迫力じゃー。特集は「さようなら、坪内祐三」。ツボちゃんの追悼特集なんだけど、これが泣けたのよ。表紙をめくったとたん目に飛び込んできたのは、いつもと同じような書架の写真と「いつまでも読書中」という白抜き文字だ。そう。葬儀から間もない坪内祐三の自宅書架や仕事場の机(井伏鱒二が使っていたちゃぶ台)を撮影したカラーグラビア8ページから始まるのだよ。これが圧巻。こんなに整頓されているなんて。おいらなんかとても恥ずかしくて死ねないと思った。別に撮られないだろうけど。知ってはいたけど本当に手書きなんだね。すごいや。で、浜本さんが書いた巻頭言がいきなりいいんよ。編集長としての男気にあふれていて思わず背筋がシャキッとしたもん。
見開きの目次をはさんで12ページから88ページまでが坪内祐三追悼記事だ。圧巻の77ページ。巻頭グラビアと巻頭言と併せたら86ページ!! 一人の作家のためにこれだけの特集を組んだのはもちろん初めてだ。それだけ坪内祐三について語りたい人がいっぱいいて、それだけみんなに愛されていたという証しなんだね。その事実だけで泣けてきそうさ。だって、愛されキャラじゃないんだもん。この特集の組み方もうまいんだ。告別式での重松清の弔辞で始まって、一番の当事者である佐久間文子さんの「ツボちゃんのこと」、坪内編集者座談会、いろんな人たちの思い、亀和田武さんと目黒考二さんの追悼対談、坪内祐三の10冊、坪内祐三が愛した店の紹介、年表などと続いて、最後は告別式での平山周吉の弔辞で締めくくっているんだけど、そのどれもがいいのだよ。追悼の文章、特に相手が同業の文筆家だとしたら、書き手はこんなにもいい文章を綴るんだね。
実用的な部分でいうと、ツボちゃんが愛した飲食店についての記述も多い。新宿の文壇バー「猫目」とか、銀座の「ロックフィッシュ」、根津の「バー長谷川」は亀和田武さんと一緒に行ったことがあるんだけど、登場する店名は軽くその10倍。東京行きの愉しみが増えたぞ。
結局、おいらもフリースタイルの吉田保も坪内祐三さんには会えなかった。こんなにも亀和田武さんと親しくさせていただいてるのに!!(亀和田武さんと坪内祐三さんは昭和からの親友なのだよ)。でも、おいらと吉田保には出会いの美学があったんよ。亀和田さんに紹介して会うのもいいけど、できることなら、深夜の酒場でふらっとお会いしたい。そんな確率の低いことを妄想しては二人で「今夜こそ坪内さんと会えるかな・・・」などと深夜のネオン街を徘徊していたのさ。バカだよね。だって、こんなにも早く出会えるチャンスがなくなるなんて思っていなかったんだもん。
最後に、今回も我が家に遊びにきた野鳥の動画。といっても4秒だけなんだけどね。おいらの仕事部屋のベランダにシメの雌が遊びに来ていたところです。距離にすると1m50cmほど。網戸を挟んでいるので少しは用心深さをなくしてくれているけど、カメラに気付いて怒って飛んでっちゃったのでした。撮影日は2月28日。一か月経った今は雄と雌が交互に遊びに来ています。