●うなぎパイと聞いて思い出すのは、ぼくがまだランドセルを重たく感じて大阪に住んでいた時のこと。公園から泣きベソをかいて帰って来たぼくに、母が仏壇からうなぎパイをさげて来て、今日はおやつに2つ食べていいわよ、と目一杯笑いかけてくれた記憶だ。
● 「うなぎパイ」と聞くまではそんな記憶はぼくの人生に存在しなかったのと同じなのに、「うなぎパイ」と耳にした瞬間記憶が鮮明によみがえる。不思議なものだ。
●ぼくの記憶では母はテーブルの向かいでヒジをついて両手を握りその上に自分のアゴをのせて、泣いているのか笑っているのかよくわからない顔でぼくがそれを食べるのを見ていたような気がする。
●今となっては何故ぼくが泣きベソをかいていたのかも思い出せないけれど、親になった今なら母のあの表情の意味は少しわかる。
●ぼくにとってうなぎパイはそんな切ないノスタルジーの過去であり、ガキの時代を経て大人になった今も心躍らせてくれるそんな存在なのだ。
農業見習い中
白木哲朗のエッセイ百番勝負