●あんかけ焼きそばが好きだ。「あん」がかかっている食べ物が大好きだ。中華屋さんに行けばメニューに天津飯がないか探してしまうし、あんかけ焼きそばがあれば迷うことなくあんかけ焼きそばを注文する人生をとろとろと過ごしてきた。
●ラーメン屋さんではなく中華屋さんでぼくがラーメンを食べる時は心の中で「あんかけ焼きそばもない、天津飯もないで、ここの中華屋さんはわかってないなぁ…」などと通ぶって遠い目なんかをしながらラーメンを啜っているので、当然、そんな気持ちで食べるラーメンが美味しいはずがない。お腹は満たされたというのに、あんかけ欲は満たされず、お店側としてもぼくにしてもあまり気持ちの良いものではない感情を抱えながら、出会ってすぐの決別を交すことになる。すべては中華屋さんを名乗りながらあんかけ焼きそばも天津飯も置いていないおのれが悪いのじゃあ!と心の中で毒づいてお店を後にしても、心はなんだかどんよりしているのが自分でもわかる。「おれは違いの分かる男だからさ…」と謎の上から目線で気持ち良くなる自分も同時に感じたりする。
●こういう偏執的な己のこだわりを振りかざし、ひねくれた態度で世間を見下してはちょっと気持ちよくなるというのがクセになってしまうと、生きづらい。メンド臭いやつだな。と思われるのは重々承知だ。それでもメンド臭いやつだな、と思われてしまう煩わしさ以上に「あん」のかかった食べ物が好きなのだ。
●自分には一度はまった食べ物を食べ続けたいという気持ちが強く、カレーなり冷やし中華なりレバニラ定食なりオムライスなりとろろ蕎麦なり、一度「これだ!」と思ったものを一週間でも二週間でも食べ続ける習性がある。一度学生時代に豚キムチにはまった時は一か月ぐらい狂ったように豚キムチを自炊して食べ続けた。その豚キムチの日々でぼくが辿り着いた最良の豚キムチの采配というのがあるのだけれど、それは今回は関係ないか…。
●一か月毎日豚キムチ!というのは自分でも振り返ってみて異常だなぁと思うけれど、今でも一週間二週間単位で同じ食べ物にのめり込むというのは良くある。好きなものは「たまに食べるからいいんだよね派」の人の目に、ぼくはどう映るのか気になるところではあるけれど、とにかくぼくはそういったところがあり、先週から突如始まった「あんかけブーム」の波に揺られている真っ最中だった。
●そうして話は雪が降ったり止んだり、春が来るのかまた冬に戻るのかという心細くなる季節の風に吹かれている、独身30代男性が南区の安アパートで迎えた日曜日の朝にやってくる。
●希望の春と辟易の冬のはざ間の季節に、澄川の安アパートで休日を迎えた独身30代男性は辟易とした気持ちを抱えて10時頃目を覚ました。彼の唯一の話し相手である元野良猫に、「もうさすがに起きてきておれの世話をしろ!」と催促されたので、嬉しい5割、だるさ2割、カーテンの外にはどんな空模様が広がっているだろうかという希望的感情2割、猫のトイレは今朝はどんな具合かという心配1割と言った気持ちを抱えつつ、命令通り猫の世話をしながら男の一日が始まった。
●冷蔵庫からコカ・コーラのボトルを取り出し、そいつをコップに注いでガブガブ飲んだりなんかしていると、突然あんかけ焼きそばを食べたくなった。猫を見ると布団に潜り込み二度寝に入り込んでいる。チャンスだと男は思った。
●男はさっと寝間着から普段着に着替え、中古の車に乗り込み真駒内へと向かった。どうして真駒内なのか?それについて詳細に説明を始めると長くなる。どうでもいいような、他人が話せば二行で済むような話を長ったらしく説明してしまうのが男の悪癖である。簡潔に言うと、男は仕事関係で札幌生まれ札幌育ちの札幌っ子と話すことがここ数日に立て続けてあり、誰も彼も南区に対してあまり良いイメージを持っていないな、という悲しき事実を耳にしたからである。特に、男が住んでいる、今朝も目覚めた安アパートがある澄川なんて言うと、ひどいものだ。
●ある人は言う。「澄川は離婚した女の人が引っ越していく街だからね。家賃が安いから」。「澄川に住んでいるって言うと、イヤな顔をされる時代があった」ある人は言う。「澄川って、ちょっと独特の雰囲気の街だよね、個性的というか変わっているというか…」
●澄川在住の男の気を悪くしないように言葉を選んでくれている姿が逆に痛々しい。男は優しさが人を傷つけることもあるというのはこういうことか…ということを実感したりもした。
●またある人は言う。「澄川っていうか、南区がね…」文字にすれば短い言葉だが、そう話す知人の表情は多くを語っており、男は自分の住む南区への郷土愛を疑う。しかし、この男はバカなので、澄川が大好きなのだ。他の区に住んでいた学生時代から、ずっと髪を切りに行く時はなんとなく気が合って縁のあったおばちゃんの美容室まで地下鉄に乗って澄川に来ていたし、帰りに今はなき、たぬきの大きな焼き物があった「澄川温泉」に寄って帰るのも好きだった。それから少し足を延ばして、(住所的には中の島だけれど)豊平川沿いにあるコーチャンフォーで長い時間をかけて本を見て、これだと思った本を買って、帰りの地下鉄で早速読むのも堪らない休日の幸せだった。
●男は髪を切りに行き、その帰り道をこんなふうにして過ごすという休日が好きで、なんなら髪を切った後の過ごし方を考えながら眠りにつく前の日の夜もとても好きだった。コーチャンフォーに寄った帰りに、澄川駅付近で晩飯を「知らない店で食べるのってドキドキするなぁ」なんて思いながら食べるのも、自分が大人になっていっているような気がして好きだった。男のゴールデンコース休日は澄川にあったのだ。
●男の年の離れた妹が大学生になり、新しくできた友達に「お兄ちゃんが澄川に住んでいる」というと、「えーっ、澄川って、札幌のスラム街って呼ばれているんだよ。お兄ちゃんヤバイ人?」と言われたと報告を受けたこともあるが、それでも男は澄川が好きだった。真駒内にあんかけ焼きそばを食べに出かける時、男にはこんな考えがあったらしい。「みんなして南区(特に澄川なのか、それとも澄川がまだましなイメージの方なのかはまだ図りかねているが)ってさ…と言葉を濁すからよう、おれっち、郷土愛を確かめてみるぜ!」というようなことを頭のなかに思い浮かべていたらしい。
●男は颯爽と真駒内へと向かう。平岸街道沿いの、うそっぱちの地下鉄のシェルターにも歴史があるんだぜ、なんてその時聞いて取り込んだつもりになった知識を反芻しながら大人ぶっているあたりが実に痛々しいが、目星を付けていた店があったのでアクセルを踏む脚は軽快だ。
●目星を付けていたのは真駒内に古くからある銭湯の近くにある中華料理屋さんだ。男は休日に銭湯に行くという行為を好んでいて、また、帰りに銭湯の近くの食べ物屋さんで晩ごはんを食べて帰るという行為も好んでいた。先日、真駒内の怪しい地下駐車場とローカルルールに溢れた銭湯に寄った帰りに、男は目ざとくその中華料理屋さんを見つけていた。しかしあいにくその日は昼営業と夜営業のはざ間の時間帯で、男は店頭のメニューをちらっと見てすぐその店を後にしていたのだ。
●しかし男はその一瞬で、その店のメニューにあんかけ焼きそばがあることを確認していた。今日はあの日のリベンジだもんね。と男がその店に辿り着いた時、無情にも店内の前に三人組の若者が立っていた。待ってるんですか?と男がその男女混合の若者三人組に尋ねると、服のサイズの選び方をまだ知らないと見て取れるその三人組の中のおちゃらけ担当的男子が、「そっす!そっす!」と軽薄な表情で返事をしてくれた。
●あ、なんかここやだ、やめよ。と車に戻ろうとするぼくに、近頃の流行りなのか知らないけれど、濁ったカラフルなけばけばした髪色の三人組の紅一点が「ンナ、待たないとオモウンスケドネー。」と、気だるさを漂わせながら、「あたしサバサバ系なんでー」的な、全く無意味な自己主張を折り込みながら、気味の悪い目つきでぼくを見てきたので、いやあ、ははは。なんて言いながらぼくは次の目的地へと向かった。
●男の次の目的地は川沿である。男は日常的に澄川から西野へと行くことがあり、帰り道に用事などがない時は西野から盤渓を経由して、藻岩付近を通って川沿真駒内を過ぎ去り澄川の自宅に帰るという、遠回りをたまにするのも好きだった。その時に川沿に良さげな中華屋さんが二軒ほどあることが気になっていたのだ。
●普段なら近所の目当ての店に入れなければ、どうしても山鼻とか石山通近辺とか、西岡方面、と行った方向へ進路変更するところだったが、その日は郷土愛を確かめると決意した日である。男は迷うことなく川沿へと向かう。南へ南へと進んで行くのだ。行き先の川沿という地名が、そのまま川のそばにあるからそう名付けられたという事実も、男は好ましく思っていたりした。
●そんな川沿の中華屋さんは、結論から言うとダメだった。まず一件目は臨時休業中。これはまぁ仕方ないだろう。すぐ近くの二件目、路地にある大きくもないお店の、大きくもない駐車場に「よく停めたなぁ」と思わず感心するようにダンプが停まっているのを目にした時に薄々嫌な予感がしたけれど、お店の中に入ると、厨房から放たれる殺伐とした空気と、その裏腹に客席から漂う虚無感。あ、やばそう、と思ったぼくの予感は的中し、店に入るや否や、「時間大丈夫ですか、30分以上かかりますからね!」と血走った目の店主風の人が男に言う。同時に男は店内を見渡し、ほぼ満席の店内で、誰ひとりとしてメシを食っている人がいないという光景を確認した。男がへらへらと身の振り方を考えながら、あいまいな態度で案内されそうになったカウンター席は食後の皿が乱雑に散らかっている。
●これはメシを食うとか以前のあれだな、と思い、男は、また今度にします。なんて言いながら再び車に戻る。この場合、店は悪くないのだ。血走った目でぼくに時間がある人か確認してきた厨房の人は悪い人ではないだろう。ややイラ立ったり呆れたり、心を無にしてじっと注文した品を待っている客も、悪いというわけではないだろう。しかし、人にはできる範囲とうのがあり、お店にはキャパシティーなるものがある。ぼくが行ったのが13時になるかどうかという時間帯だったので、そのお店にいた客は二回転目というやつだろう。別に待つのが苦じゃない人は全然いいんだろうけど、厨房に立っていたこともあるぼくとしてはそんな状況のお店で食事をするものではないという考えも持っている。器から溢れ出ている状態のお店なり人なり物体なりにさらに何かを放り込むようなことをするぐらいなら、ぼくは物わかり良くよそへと向かう。そうしてぼくは藤野へと向かった。
●南区民として、南へ南へ郷土愛を探しに、と言うのがこの時、今日のテーマとして決まったのだ。藤野には一度、妹と行ったことのある割と大き目な中華料理屋さんがある。あそこなら大丈夫だろうとの安心感が、川沿の中華屋さんから物わかり良くぼくを立ち去らせたのかもしれない。しかしあいにくながら、その頼みの綱の中華屋さんも駐車場がいっぱいで、ぼくは打ちひしがれた気持ちを抱えながら、ここまで来たら…!とさらにさらに南へと車を走らせることになった。
●人の頭の中と言うのはわからないものである。どうしてそんな状況でそんなことを思うのかと言うと、その駐車場がいっぱいで諦めた中華屋さんに妹と行った時のことを思い出したからだ。その中華屋さんは本国の人がやっているお店で、とにかく出てくるのが早い。量も多い。そして、注文を聞いてくれて、料理を運んで来てくれる本国の女性の、愛想のないこと愛想のないこと。男は例によって、そういうものだよなあとか自分に言い聞かせながら、妹の手前、揺れる心を隠していたりしたらしいんだけどさ、妹は注文してから二分と経たず運ばれてきたエビチリと、それを運んできた愛想の欠落したウエイトレスを見て、うっとりしながらこう言った。
「いいなぁ、私もあんな風に働きたいっ…!」
●男はびっくりした。しかしその動揺を隠し、年の離れた妹の本心を推し量ろうと、「えっ、なんで?」などと聞いてみる。
「美味しいものがちゃんと出て来て、お腹がいっぱいになるんだったら、大袈裟な注文の確認とかも鬱陶しいだけだし、別に愛想の良い接客とかどうでもいいから、簡潔に、『エビチリ』って商品名だけ言って料理を運べばいいってところで働きたい…」
●そうだ、この時妹は酒を出す店でアルバイトを始めた頃で、対人恐怖症を自覚しながらも、このままじゃいけない、と、思いながら、くだらない大人との応対方法を学びながら、もがいていた時だったのだ。男はその時どんな反応を妹に返したのか覚えていないが、「なるほど、そんな考えもあるのか。確かに愛想よくするのが演技してるみたいに感じて嫌になったり、淡々と人と関わりたい時ってあるもんな…。」それって、別に悪いことじゃないんだ。目の前のこいつだって、そんなことを考えてしっかり悩んだりすることもあるのか、色んな人がいるなあ、と思ったそうな。そうして男はそこからは完全に当てもなく南へ向かうことになる。
●また吹雪いてきた道の上で、無目的に流されるようにして、支笏湖方面へと向かう右折レーンで男は間抜けに右ウインカーを出したりしていた。かちかち。この先はいよいよなんもないぞ。あんかけ焼きそばが食べたかっただけなのに、日曜日の昼ごはんに南区であんかけ焼きそばを食べるのってこんなに難しいことだったのか…?
●これはぼくが南区に住んでいるからなのか?それとも、独身安アパート暮らしの30代男性に吹き付ける風と言うのはこういうものなのだろうか?ファミリーという枠組みで動いていればまた違う現実があったのだろうか…。引き返すタイミングを完全に失った男は、芸術の森方面へと右折する。はじめてくる場所ではない。学生時代にバイクの免許を取ってからは、この道を通って支笏湖に何度行っただろう。あの時ぼくは千歳から平岸の学校に通う女の子に恋をしていたなぁ…。
●ああ、昔おばさんが住んでいた一軒家の近くだ。あの時飼ってた子猫は結局どうなったんだろう、あっ、昔すすきので働いてた時によくお酒を買いに来てた酒屋さんだ!妹と芸術の森美術館に「ミュシャ」の絵を見に来たなぁ。なんて思いながら通りを走っていると、黄色い看板のラーメン屋さん的なお店を発見した。
●幸い営業中のようである。しかし、店名がなんだかおちゃらけた感じがして、駐車場に車を停めようとするぼくの指先を惑わせる。でもまぁ、ここまで来たんだから、駄目なら駄目で仕方がないよなぁ、なんて自分に言い聞かせながらお店に入りメニューを見ると、あるじゃないの!あんかけ焼きそばが!!
●店員のおばちゃんがお水を持ってきてくれるのと同時に、行儀も忘れて「あんかけ焼きそばください!」と告げる。そのあとすぐ来た、いかにもさえない感じの小太りのおっちゃんが、メニューも見ずに「カニチャーハン大盛とレバニラ」と言い、おばちゃんが注文を復唱することもなく「ふふっ」と微笑んで、厨房のおっちゃんにオーダーを伝える姿を見て、ぼくはこの時点でもうこれは勝ったな。と思った。
●これだよこれこれ!そうだそうだ!すぐさま運ばれてきた出来立てあつあつのあんかけ焼きそばはぼくの南区への郷土心を複雑にかつ確かに膨らましてくれた。なんたって手際の良さと、あつあつのあんかけ焼きそばの隣の小皿に入った紅ショウガと粉から練ったカラシ。手を伸ばせばお酢が用意されている。これはちょっともうあんかけ焼きそばを食べるならここしかないなぁ、と確信させてくれるお店に南区で出会っちゃった。なんて思ったりしたもんね。
●南区で日曜日のお昼ご飯に「あんかけ焼きそば」を食べることは簡単ではないかもしれないけれど、諦めなければ決して不可能なことでもないし、南区のこういうところが、好きだなぁ。と、改めて男は思ったそうな。帰りに寄った怪しい真駒内の怪しい銭湯での出来事も男はむけけと笑いながら楽しんだという…。
南区に幸あれ!〈2022年3月21日0:52記〉
農業見習い中
白木哲朗のエッセイ百番勝負