●先日ぼくの勤め先の山奥の畑で苗祭りという催しがあったのです。苗祭りとは何か? と思う人は多分いないと思うんだけど、一応説明しておくと、その名のとおり苗を売りますよとぼくらが苗を並べて、苗を買います買いますという人たちがやってきて苗を買って行くという非常にわかりやすいほのぼのとしたイベントなのですね。
●この勤め先の畑はぐねぐねカーブの途中の目印も特にない砂利道をえいやッと曲がって、人を不安にさせるような坂道をさらにずんずん進んで行くと、もう諦めて帰ろうと弱音を吐きたくなる頃にやっと畑が見えてくるというような場所にあり、正直ぼくらもこんなヘンピなところにわざわざ苗を買いに来る人がいるんだろうか?と思うようなところなのです。ぼくも苗祭りの準備をしながら、ここに出入りし始めた頃は朝畑に着いたらもう一仕事した!と思うほどなんだかぐったりしていたなぁ、なんてことを思い出しました。
●なんだかんだと毎年にぎわっている苗祭りですが、今年は世の中のムードと言うか雰囲気と言うか、空気と言うか現実的にあまり外に出るなよと言うものがあるではないですか。普段家を出て畑仕事をして家に帰るまで畑の人以外に会う人と言えば、タネ屋さんとか肥料屋さんとか郵便屋さんがたまに来るぐらいというような田舎町のさらに山奥での生活なので、いまいち実感として緊急事態というものがどういうものなのかわからないのです。新聞やテレビのニュースや郵便屋さんの話から知る世の情報が全てというような向きもあるので、かえって街の人よりも正体不明の恐怖感というものがあったりするのですね。
●毎年今年は誰も来てくれないかもなぁ、なんて言いながら準備に精を出したりしているのですが、今年は準備をしながら「ほんとに今年は苗が3つ売れて良かったね、こないだ売れたじゃが芋のお金と足して街におしょうゆを買いに行けるね…」 なんてことになるんじゃないか…なんてことをややシリアスな顔で話していたりしていました。
●それでも年に一度の大きな催しの準備というのはやり始めると楽しいもので、ビニールハウスの中に苗を広げたり、この苗はどういう苗かという看板を手書きのポップで作ったり、ようやく売り物になるぐらい育ったかぶやレタスなどを収穫して洗ったり袋に入れたりしていると、どうせ誰も来ないだろうしちょっと今年は色々冒険してみよう!来年のために色々やってみよう!苗だってコンテナとかを駆使して立体的に並べてみようぜ!と畑の裏ボス的なともちゃんが変なテンションになって後ろ向きに前向きなイケイケモードになったので、ぼくらもどうせ当日はひまだろうしね、なんて言いながら振り返ってみるとちょっとがんばり過ぎたかな、と言うぐらい準備に燃えました。これでお客さんがたくさん来たらもうなんというか、どうしようもないね。正直もう苗祭りを開催する元気は残ってないね、というくらいのへとへと加減で準備を終えました。
●最近腰の痛みがより厳しいものになってきたじいさんは、コンテナを使って苗を立体的に並べ始めたぼくらを見て遊びじゃねえんだぞ的な小言を言っていましたが、「地べたに並べるより苗を手に取る時に腰が楽かなぁと思って」なんてことを言うと、「ふ~ん、ならいいかもな、う~ん、やってみろよ」と言いながら肥料袋に座って巻きたばこを器用に巻いてぷかぷかしていました。
●最近青さんも座る時間が増えてきたなぁ、と思いながら、ぼくは余ったコンテナをもとの場所に戻すのも面倒くさかったので、その辺に無造作に並べるように散らかして帰りました。ともちゃんはせっせと手書きのポップを竹ぼっこに張り付けて苗の前にぶすぶす刺していました。
●翌日の苗祭り本番の日は、ぼくらの心配ってなんだったんだ?と思うほどありがたいことにたくさんのお客さんが苗を買いに来てくれて、みんなでほっと胸をなでおろしました。なんか苗が見やすくなって取りやすくていいですね、というお客さんに接客モードのじいさんは、「いやぁ最近腰が特に悪くてな、屈むのも楽じゃないなって思ってよう」なんて言ってるのを聞いたときは、「ほんとにもう!」と思いましたが、そういうもんだよな、うん、みんな楽しそうだしぼくらもなんだかいい気分だしそれでいいなぁ、それもいいなぁ、うん!それがいいなぁ、と晴れた土曜日の空を見上げたりしました。
●意外とびっくりしたのが、無造作に並べたコンテナに無意識な感じで腰掛ける人の多いことでした。家族連れや中年老年の夫婦や、おば友(仲の良さそうなおばさんが2.3人連れ立っている様子)風の人たちが苗を買いに来てくれた人たちの主な客層で、せっかく苗を買いにはるばる来たんだしちょっと畑の人と話してみるかぁと言うような感じでズボンをパンパンと叩いてから座っている(そのズボンパンパンになんの意味があるんだろう?)光景以上に、連れられてきた子どもたちがみんなしてコンテナに座っているのがなんだかおもしろく感じました。
●ぼくらの不安をよそに混雑したビニールハウスの中で、飽きたりそもそもこんなとこ興味なんかない、暑いし草がやだ!とやや不貞腐れ気味の小さい子らがとぼとぼとビニールハウスの入り口近くに歩いてきて、無造作に散らばったコンテナにおもむろに座ってつまらなさそうにしているのを見ているとなんだか微笑ましく思えたりしました。
●ぼくは子どもの頃にオヤジに連れられて行ったサッカー場や酒屋さんで、とにかくつまんないから座りたい!と子ども心に思っていたことを思い出しました。親がコーフンすることと言うのは大体子どもにはつまらないものなのですよね。
●ぼくは車を停めるところから苗を並べているビニールハウスまでお客さんを誘導するようなことをしていて、手の空いた時間で畑仕事をするにもなんだか中途半端だし、手持ち無沙汰でぼーっとしていたので、同じくつまらなさそうにしているコンテナに座る人たちをやっぱりぼーっと見ていました。無事に苗祭りが終わって片づけもそこそこにぐったりしたぼくらは惰性的に恒例の打ち上げと称して隣町の東神楽の焼肉屋さんに行ったのですが、思い出してみればやりきった節目に焼肉を食べたというよりも、ゆっくり座れたということがなにより幸せだったなぁという打ち上げでした。とにかく早く食って帰りたいという状態で生焼けの肉を奪い合うように腹に放り込んだ行儀もへったくれも無い打ち上げの様子は、ちょっと苗祭りののほほんとした空気とは真逆なものがありましたね。まぁしかしそれがいいのだ。わはは。
●最近ひまだなぁと言う人は是非苗を植えてみようではありませんか。なかなかいいものですよ。
農業見習い中
白木哲朗のエッセイ百番勝負