026:1月5日の日記

朝から元気いっぱいの6才児と遊ぶのは疲れる。
木造アパートだから大きな声を出すな、下は駐車場だから飛んだり跳ねたりはある程度OKと言っても、コーフンすると自然と大声が出てしまうのだね。大人も子供も変わらないのだ。
彼のお気に入り厳選トミカ12台による「ルール適宜変更気分まかせ風まかせやりたい放題6才児接待型デスマッチ風6対6団体戦」に4時間付き合ってから、初詣に行くために宮の森へと向かう。兄の家に車を停めさせてもらい歩いて北海道神宮まで行く。すぐ近くだよと兄の嫁が言っていたけど、ほんとにすぐ近くなのでびっくりした。子どもたちはそりに乗って楽しそうにしている。雪が積もっているので引っ張る方もらくちんだ。北海道の正しい初詣という感じがする。
兄は珍しくぼくにツッコミを入れてきて、まさか車で神宮まで行くつもりやったんか?と言い、神宮の車の混雑ぶりを見て、珍しくぼくも兄に腰を低くして、車を停めさせてもらって正解だったわ、なんて言った。表通りは駐車場の空き待ちの車が長い列を作っていた。
通りの名前はわからないけれど、白鹿食堂なるおかゆ屋さんの前を通ってさくさくと円山神宮へ入り込んでいく。大人が3人と、6才児×2人に3才児が1人という面子で初詣をする。途中3才児がそりに飽きて、抱っこしろ、歩かせろ、抱っこしろ、好きにさせろモードに入ったので、そりに乗せると大人しくなる6才児2人が大人に見えた。
兄夫婦は3才児に付きっきりになったので、必然的にぼくが6才児2人を見ることになる。境内の中は砂が撒いてあり、そりがひけないので歩かせる。運よくお賽銭の前がさほど混雑していなかったので、まずはメインイベントを済ませましょうね、と、お賽銭をしてお参りをすることにする。お手水の人だかりを見て、兄は「てみずどうする~?」なんて言っていた。これで北大の病院で働いてるんだからほんと、一般常識とか専門知識ってわけわからんよな、と思いつつ、呆れ顔でちょうずって読むんだよ、言葉にするときはおちょうずって言おうねという兄のお嫁さんに好感を持ちつつ、普段の苦労をしのびつつ、6才児2人に翻弄され、お手水は寒いから今日は省略! と言ってしまったぼくに にっこり頷く兄のお嫁さんに、ぼくも大人の頷きを返して、うろうろする6才児たちを追いかけた。
これで元旦に年の離れた妹と行った美瑛神社と足して2回目のお参りである。その時はちゃんとお参りをしてお願いというかお祈りをしたのだけど、今日は勝手が違う。一緒にいる人が大学生と6才児の違いがある。これは大きい。さほど混雑していないといっても正月中の北海道神宮の境内は人が多く、あっという間に兄夫婦と3才児とはぐれてしまった。
6才児コンビは「なんでおかねいれるのー」とか「なんでおねがいがさきじゃないのー」とか色々と鋭いことを言ってくる。ぼくは同じことを疑問に思っていたので、神頼みは先払いなんだよ、前金なんだよ、わかったか?わかんねーよなぁ、と大人の顔で言い、わけわからんという顔をしている2人に金を投げてもらいお参りをさせ、おみくじへと誘導する。自分のお願いをするひまや隙はなかったが、こういうものだろう。
おみくじをひくのにもえらく体力を使い、ようやく兄夫婦と合流する。6人中4人が末吉だったけど、こういうのはいい時だけ信じるものだよな、とお互い言い聞かせるようにうなずいて、このあと予定なかったら…と兄の家にお招きされたので、
予定がなかったので言葉通り受け取って遊びに行った。帰り道に出店が立ち並ぶ通りで、兄家族はチョコバナナを買ったり、チュロスを買ったり、シャーピンを買ったり、あんまんを買ったりしていた。
驚いたというか新しい発見だったのは、兄の家にはボードゲームがたくさんあったことで、最初は話にしか聞いたことのなかったニンテンドースイッチなるもので大人も子供も遊んでいたのだけど、誰となく飽きてきたころに兄が宝箱の中身をちょっと見せてあげるよ、という感じでプラスチックケースに入った大量のボードゲームを持って現れた。その瞬間にぼくは兄と過ごしていた子供時代のお正月を思い出したけど、なんとなく恥ずかしい感じがしたのでそれは口に出さなかった。
思えばオヤジもボードゲームが好きだった。かるたに始まり、ペンギンを落とさないようにブロックをトンカチで崩していくゲームとか、おばけキャッチとか、動物の絵がたくさん描かれている神経衰弱的なカードゲームなんかを昼過ぎから日が暮れきるまでひたすら遊んだ。子どもの頃の自分に戻って楽しんだ、というわけにはいかず、ルールそれすなわち自己創造の子どもをルールのあるゲームで遊ばせることの親側の苦労を初めて味わった。
子どもたちは初めはつまんなそうにしてたり、訳が分からずいらいらしたりすねたりしてたけど、ルールを覚え始めると活発にボードゲームにのめりこみ、これって大人も大して変わんないな、と酒を飲み始めた兄を見て思って、在りし日のぼくの幼き良心や周りの大人たちに思いを馳せた。四合瓶をひっくり返した兄と、阿鼻叫喚の子どもたちを見て、いいお正月だなと、雑巾を持ちながら物わかりのいいおじさんとして過ごした。〈2020年1月5日記〉